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海外旅行紀行・戯言日記

海外旅行紀行・戯言日記

Great Smoky Mt.

アトランタ郊外でレンタカーを借りたのは2003年6月18日午後1時、この日は豪雨が降って、市内では各地で洪水が発生していました。
翌日は低気圧が東部海岸を北上してワシントン、ニューヨークは豪雨となりGreat Smoky Mountains国立公園付近は曇り一時雨となる天気予報でしたので思い切って行って見ることにしました。近道は山道で封鎖の恐れがありましたので、遠回りですがインターステート85号線を北上、Spartanburgでインターステート26号線に乗り換え、Ashevilleでインターステート40号線を西方に戻って行き、Cherokeeと言うインディアン居留地で泊まって翌日Great Smoky Mountains国立公園を訪問する計画としました。
幸いインターステートでの洪水による封鎖はありませんでしたが、時々高速ワイパーにして前方が定かに見えない程の豪雨でしたので、結構神経を使って疲労しました。
Cherokee迄は300マイル強の距離で到着しましたのは午後6時少し前でした。旅行案内所も見当たりませんので、飛び込みでHoliday Innで泊まることが出来ました。

翌日朝は薄曇りとなり、国立公園に出掛けVisitor Centerで無料のパンフレットを貰い州境の峠Newfound Gap迄登って行きます。
段々と天候は崩れ、昨日程ではありませんが強い雨となり、峠では霧が出て10m先が定かに見えません。ガソリンも残り少ないこともあり、反対側のゲートシティであるGatlinburgに行って給油しながら昼食でも食べようと思い、降りて見ましたら其処は観光客でごった返していました。車もひどい渋滞で動きが取れませんでしたが、漸く見つけたガソリンスタンドで給油し、昼食は取らず再度Newfound Gap迄登って行きました。一時的に霧が晴れ眺望を楽しむことが出来ました。



これなら最高峰Clingmans Dome(2024m)山頂の展望台も楽しめると7マイルの道をドライブして行きましたが、再度濃い霧が出て駐車場に着きましたら5m先が見えなくなっていました。何とか案内板を見つけ頂上まで0.5マイル、徒歩30分と書いてありました。途中眺望も無い坂道を30分登って着きましたが、展望台は霧の中でしたので仕方なくそのまま駐車場まで引き返しました。急ぐ旅でもありませんので、車の中で20分程待機していましたら幸運なことに霧が晴れ、素晴らしい眺望を満喫することが出来ました。将に“急いてはことを仕損じる”でゆっくりと余裕を持っていますと幸運はあちらからやって来るのです。


Great Smoky Mountains国立公園は低い山々が連なるアパラチア山系に位置し、多様な動植物が生息することで知られています。
此処の地層は古く、基礎となる岩盤は海中にあって10億年以上前のもので、その上に土、砂、砂利等が堆積して行き、6億年から9億年前にプレートの衝突による隆起が起こって山脈が形成された様です。その為、石油等の化石燃料層の無い岩だらけの高い山脈が形成されました。その後、数億年に亘る風、水、氷河などによる風化により約1万年前に氷河の後退と共に低いなだらかな山系となり、現在のアパラチア山脈となったのです。最高峰はGreat Smoky Mountains国立公園にあり2024mに過ぎませんが、それでもアメリカ東部ではそれ以外に山脈は無いのです。
低い山系はロッキー山脈と違って温暖な気候を生み出し、多量の降雨量によって多様性のある動植物を育むことになった様で、此処だけで北ヨーロッパ全体より多数種の樹木、1500種の花々、200種の鳥類、60種のほ乳類が発見されています。1934年に国立公園となり、その多様性はUNESCO世界遺産の自然地帯に指定されることとなりました。生態系の長に立つ黒熊は北米大陸で一番密度が濃く、国立公園内に1700頭が生息すると推定されています。
此処一帯は元来チェロキーインディアンの住んでいた場所であり、今では公園南部には居留地が設けられています。チェロキー族は政府方針には協力的な部族ではありましたが、他部族と同様、政府による追い立て・財産没収と言う悲しい歴史がありました。彼等は丸太小屋を建てて住み、此処を“青い煙の山”(何か直ぐ青森県の白神山地を思い起こさせます)と呼び生活していましたし、又友好的にヨーロッパからの移民に住む土地を一部提供しようとしましたが、ヨーロッパ移民は勝手に全て取り上げてしまったのです。
1880年頃からは森林の伐採が始まり、50年間で山の様子が変わる程となりました。漸く政府は民間業者による伐採が森林消滅に通じるものと警戒し、1926年公園法政化して、1934年州政府、個人・団体、学校が土地買い付けの基金を集めて個人所有の土地を購入し連邦政府に寄付しての国立公園となりました。


公園内の整備状況は素晴らしく、案内所(Visitor Center)は三ヶ所、 途中道筋には各所に休憩所、展望台、ピクニック場所、テント設営場所がありますので、色々な活動が楽しめる公園となっています。

宿泊には北側テネシー州のGatlinburgと南側ノースカロライナ州のCherokeeの双方に多数ホテルがあります。賑やかさが好きなCity BoyにはGatlinburgがお勧めですし、静かさを好むCountry Boyにはインディアン居留地Cherokeeがお勧めです。



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